「どうする家康」殿さんが盗人の真似を…どうした家康!?第7回放送「わしの家」振り返り

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「どうする家康」殿さんが盗人の真似を…どうした家康!?第7回放送「わしの家」振り返り

三河国を、一つに家に……そんな願いを込めて改名した松平家康(演:松本潤)。

家康「わしは、この三河を一つの家だと考えておるんじゃ」

石川数正「妻や子だけでなく、家臣や民も、皆、親であり子であり兄弟であると、殿はそうお考えだそうじゃ。この三河という家をやすらかなものにしたい。その意味を込めての「家康」」

しかし実際のところ、三河は一つの家どころかろくに平定すらされておらず、織田信長(演:岡田准一)に土足で踏み込まれる始末。

早く我が家を我がものとせねば……焦る家康は軍資金を調達するべく一向宗の本證寺から粮米を徴発。これが後に家康の三大危機「三河一向一揆」を惹き起こすのでした。

「家族」であるはずの民が飢え苦しむのも顧みず、十分な話し合いすらせず年貢米を巻き上げたのは何ゆえか(イメージ)

さて、NHK大河ドラマ「どうする家康」第7回放送は「わしの家」……いやいや、まだあんたの家になってないだろ&仮にあんたの家だとして、我が子(領民)から日々の糧を不法に略奪するのはどうなんだと突っ込んだ視聴者は、筆者だけではないはずです。

今週も気になるエピソードや人物を深掘りして、大河ドラマを振り返っていきましょう。

元康、家康に改名

信長に改名しろと言われたから、言われるままに改名するとは情けない……でもまぁ「そうでないと裏づける史料がない以上、そうであった可能性も否定できない」ため仕方ありません。

江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御實紀)』によると、元康が家康と改名したのは永禄5年(1562年)。厳密な時期は不明ながら、8月21日の文書には家康と署名されています。

……   君ことし御名を   家康とあらため給ふ。(永禄四年十月の御書に   元康とあそばされ。五年八月廿一日の御書には家康とみゆ。)……

※『東照宮御實紀』巻二 永禄四年-同七年「永禄五年元康改名家康」

※名前(君、家康など)の前が不自然に空けてあるのは、すぐ上(原書は縦書き)に文字が来て、その名前を踏みつけることを遠慮したためです。

名将として知られた八幡太郎こと源義家。小林清親筆

劇中では源氏の棟梁・八幡太郎こと源義家(みなもとの よしいえ。源頼朝の高祖父。長暦3・1039年生~嘉承元・1106年没)の家をとったとしていますが、身近なところでは継父の久松長家(演:リリー・フランキー)から拝領しました。

※後に長家は家康に遠慮して久松俊勝(としかつ)と改名します。

余談ながら、瀬名(演:有村架純。築山殿)が気に入っていた松平泰康(やすやす)。物事がやすやす進むようにとは(その後の人生を思えば)何の皮肉か……と苦笑はさておき、大草松平家に松平康安(やすやす。松平昌久の曾孫)という武将が実在します。

また、ネタ(ジョーク?)で「やすやす」の読みであれば、安康にすれば後の方広寺鐘銘事件(国家安康君臣豊楽)の伏線に……なったかも知れません。

あるいは前作「鎌倉殿の13人」で人気だった?北条泰時(ほうじょう やすとき。鎌倉幕府の第3代執権)を思い出させたかったのでしょうか。

信長、三河領内で勝手に「鷹狩り」

「おい家康、鷹狩り行こうぜ!」

とばかり軽いノリで信長に誘われた家康。しかしいくら謀叛人を捕らえるためとは言え、他人の領内へ勝手に兵を入れる信長の態度は、さすがに見くびりすぎではないでしょうか。

(もちろんフィクションです。仮にそんなことをすれば、領土侵犯としてたちまち戦になりかねません)

家康「あの……鷹狩りと伺いましたが、我が所領で何を……?」

信長「鷹狩りじゃ。獲物がたくさんとれたわ」

木下藤吉郎(演:ムロツヨシ)が捕らえて縛り上げ、蹴り飛ばしていたのは吉良義昭(演:矢島健一)、大草松平家=松平昌久(演:角田晃広)、酒井忠尚(忠次の叔父か)それぞれの手先。

藤吉郎「しかしまぁ、本当に家康殿の所領には悪いネズミがぎょうさんおりますなあ」

美濃平定に北上を図る織田。その他ごくざっくりとした周辺勢力図。当時、松平の三河は「わしの家」どころか統一すらされていない(イメージ)

……これより美濃平定に北上する信長が背後を預けられるよう、藤吉郎から三河平定に発破をかけられる家康。

ちなみに、この時期の藤吉郎(後の羽柴秀吉)は足軽大将程度の身分に過ぎず、たとえ名目上でも主君と対等の関係にある家康にこんなクチは利けません(あくまで藤吉郎のえげつなさを演出するための創作です)。

なお、当時の三河国内は、ざっと以下のような勢力が乱立していました。

荒川義広(吉良義昭の弟。兄と不仲で家康に内応) 吉良義昭(この時点では家康に降伏) 酒井忠尚(さかい ただよし/ただなお) 松平家次(いえつぐ。桜井松平家。家康と宗家の座を争う) 松平昌久(大草松平家。ご存じ家康のライバル)

一度は家康の軍門に屈した者や、しぶとく抵抗を続ける者など、不安定な状態が続いています。早く彼らを従えるべく、一向門徒からの軍資金調達を急がねばなりませんが……。

一向門徒のうごめく影に……?

さて、一向門徒の実態がどのようなものか(不入の権を存続すべきか)お忍びで本證寺へ潜入する家康。榊原小平太(演:杉野遥亮)と本多忠勝(演:山田祐貴)と三人でいそいそ出かける様子は、まるで親に黙って夜遊びに出かける中高生みたいでしたね。

楽しそうで何よりです……が、こういう任務は服部半蔵(演:山田孝之)や女大鼠(演:松本まりか)らの出番ではないのでしょうか。自らノコノコ出かけていって、もし捕まりでもしたら、どんな特権を追加要求されるか分かったものではありません。

これまでの合戦にせよ奪還作戦にせよ、人の命ひいては一国の運命を左右する重要任務であるという緊張感が欠けているように見えるのは何故でしょうか(肩の力を抜いて観られるよう、視聴者への配慮かも知れませんが)。

ともあれ土屋長吉重治(演:田村健太郎)の案内で潜入?に成功した家康ご一行。飢餓や兵乱に苦しむ外界とは打って変わって華やかに栄える境内に面食らいながら、妖艶な美女・千代(演:古川琴音)に誘われます。

住職の空誓上人(演:市川右團次)と親密な関係にあるらしい彼女は、恐らく信濃国の歩き巫女・望月千代女(もちづき ちよじょ/ちよめ)がモデルなのでしょう。

望月千代女は永禄4年(1561年)の川中島合戦で討死した望月盛時(もりとき)の未亡人で武田信玄(演:阿部寛)に仕え、歩き巫女(一定の寺社に属しない巫女)として諸国の情報収集など諜報活動に従事したと言われます(諸説あり)。

一説にはくノ一(女性忍び)とも伝わるため、大河ドラマでは女大鼠との対決シーンなんかもあるのかも知れませんね。

それはともかく、民衆に担ぎ上げられている空誓上人を裏で操っているように見えた彼女。三河一向一揆が武田信玄の謀略による可能性をほのめかしているようです。

第1回放送で今川義元(演:野村萬斎)の死を知り、駿河(および遠江)併呑の野心を顕わしていた信玄。三河も掌中にすべく、工作活動を展開していたのでしょうか。

空誓上人は劇中のとおり本證寺の第10世住職。浄土真宗中興の祖・蓮如(れんにょ)の曾孫に当たり、三河一向一揆では中心的な役割を果たします。

戦場では鎧を身にまとい、金棒を振り回す豪傑坊主だったらしく、往時の武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい)を髣髴とさせる大立ち回りが楽しみ(市川右團次さんにピッタリ?)ですね。

ちなみに千代が門徒らを煽動する際に発した「進めば極楽浄土、退けば無間地獄(むげんじごく)よ」というセリフ。『考証要集~秘伝!NHK時代考証資料』(文春文庫)によると「むけんじごく」とのこと(聞こえ間違いだったらすみません)。

無間地獄とは絶えず(間がない)苦しみを受け続ける地獄のこと。無限(限りなく苦しみを受ける)のイメージで「むげん」と読みがちですが、気をつけたいところです。

まずは話し合って欲しかった

さて、岡崎城へ戻った家康は「あんなふしだらな寺を仏弟子とは認めない」と一方的に先代の合意を反故とし、年貢を強制的に取り上げる暴挙に出ます。

「ヒャッハーッ!年貢を寄越せ!」とても主人公の振る舞い(指図)とは思えない(イメージ)

たちまち奪い返されていましたが、そんな弱い武士たちが、よく一向門徒から略奪できましたね(普通は奪い返されることを警戒して、精鋭を担当させるはずですが……)。

せっかく身体を張って領民たちの窮状を目の当たりにしたのに、せめて略奪?前に(松平家康として、公式の)交渉があって然るべきではなかったのでしょうか。

※少なくとも劇中にはその描写・説明がなく、ただ食事の席で「もうわしは決めたんじゃ」とばかり、ほぼ独断専行した印象を受けます。

「一つの寺を一つの国とお考え下され」鳥居忠吉(演:イッセー尾形)の忠告に喩えるなら、家康の行動は一国の総理が他の閣僚に相談もなく平和条約を破棄して攻め込んだようなもの。もし皆さんがそこの国民なら、どう思いますか?

史実でも、三河一向一揆の原因は不入の権をめぐる対立と言われています。しかしもう少し丁寧な描写がないと、視聴者は戸惑ってしまいそうです。

飢えに苦しむ領民たちの窮状を知りながら年貢米を無理やり取り立て、自分は家族(妻子たち)と幸せな食卓を囲む……その姿は、どこぞの独裁者を連想してしまいます。

「銭をやっても、アホウは戦にしか使わん」まったく仰る通りです。

……そして一ヶ月後(いや、その過程=戦闘場面こそ観たいのですが、お願いだから端折らないで?)。倒された家康は一向門徒に取り囲まれて絶体絶命。自分の短慮を後悔しながらいつもの絶叫……。

まったくもって自業自得ですが、きっと誰かが助けてくれることでしょう。例えば土屋長吉重治とかが(実際に彼は一揆側へ寝返るものの、家康の窮地を見逃せずに再び寝返り、家康を守って討死します)。

次週・第8回放送「三河一揆でどうする!」

家康の暴挙によって幕を開けた三河一向一揆。「好きで戦をしているわけではない!」と言いながら、正当な権利として認められた米を強奪すれば戦になってしまうことくらい、常識として分からないものでしょうか。

「お主など、家長と認めぬ!」神仏を畏れぬ不届きな家康を見限り、一揆勢に寝返った家臣たち(イメージ)

三河はわしの家で、わしは家長(自称)であるから意のままにならぬ者は許さない……ちょっとこの「家」には住みたくありませんね。家臣の中でも多くの者が一揆勢へ寝返ってしまうのも解ります。

進者往生極楽、退者無間地獄(進まば往生極楽、退かば無間地獄)……現世に絶望し、来世の幸せを夢見る一向門徒の大群が、南無阿弥陀仏と一心に唱えながら押し寄せてくるさまが見どころです。

開戦の経緯から考えても士気の奮わなそうな松平勢は、この難局をどう乗り越えるのでしょうか。

ここからどんな逆転劇が演じられるのか、次週「三河一揆でどうする!」目が離せませんね。

※参考文献:

『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 前編』NHK出版、2023年1月 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 新行紀一『一向一揆の基礎構造 三河一揆と松平氏』吉川弘文館、2017年10月 新編岡崎市史編さん委員会『新編岡崎市史 中世』岡崎市、2002年7月 安城市史編さん委員会『安城市史』安城市、1971年2月

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