死に対するアプローチや死そのものへの理解が異なるヒトとその他の生物 (2/3ページ)

心に残る家族葬



1 死体への毛づくろいやその死体が乳児の場合抱擁するなど、生前にしていたのと似た行動の継続
2 死体をゆする、近くに長時間とどまる。など、死んでから初めて見られる行動
3 食欲がなくなるなどのうつ状態
4 殺し。集団において、オトナ同士や子殺しなど

とはいえ、これらが死というものをはっきり理解しているということの証拠にはなっていない。また、亡くなった個体に対しどのような感情があったのか、という話になるとそれも非常に難しく、動物の感情の有無は現時点でも永遠の課題であると言われている。

■実体験が不可能な死

そもそも死とは本来、体験が不可能な事象だ(わたしは夢で擬似体験したが)。故にそれは常に他人の死を持って経験することになる。

他者の死を経験した後に、死を認識するためには、将来について予測する考え方と、論理的な思考が必要だ。つまり、「全ての生き物は必ず死ぬ」に加えて「自分も生き物である」と把握し「自分も必ずいつか死ぬ」のだと分かることだ。これらの認知能力を兼ね備えているのは人間だけであるという考え方が現段階では主流なのだ。

■人類の葬送儀礼

一方、猿人、原人、旧人、新人と進化してきた私たち人類だが、旧人にあたるネアンデルタール人において埋葬が行われていたことが発掘調査から明らかになっている。イラクのシャニダールでは遺体のあった周辺から綺麗な花の花粉の化石が見つかっており、旧人たちが遺体に花を手向けた姿が想像できる。また、片手を無くした男性で、当時としては長寿である40歳まで生きていた遺体も見つかっており、これは肢体不自由者を社会が支援して生かしていたことの証拠と捉えられる。

ネアンデルタール人はかつては、ホモサピエンスより認知能力が低く野蛮だとみられていた。しかし最近のDNA解析の結果、現代人にもネアンデルタール人の遺伝子が受け継がれていることが明らかになっている。絶滅したとされてきた彼らだがその理由も未だ謎のままであり、知的水準が低かったから環境に適応出来なかった、という従来の説明を覆すような発達した文化レベルの証拠が調査報告されている。
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