出浦氏の居城は「ピラミッド」!?名門・村上氏の家臣一族とその運命とは
「ピラミッド」に居城を構えた一族
ピラミッドと言えばエジプトのものが真っ先に思い浮かびますが、実は日本にも「ピラミッド」と呼ばれるものがあります。
もちろん正式な意味でのピラミッドではありませんが、山などの形が酷似していることから、そう呼ばれているんですね。
例えば、有名なのは秋田県鹿角市にある黒又山、広島県の葦嶽山、青森県の新郷村のものです。
このうち黒又山は「山」とはいえ人工的な建造物という説もあり、付近には環状列石などもあることから、大昔の祭儀的な施設だった可能性があります。あとの二つは、やや胡散臭い伝承に彩られています。
そして、日本史に関わる「ピラミッド」として挙げられるのが、長野県にある岩井堂山(自在山)です。この山は上田市の北隣、千曲川と坂城町の間にある標高793.0メートルの山で、美しい円錐形をしています。
この山がどのように日本史に関係するかというと、実は戦国時代に武田信玄と戦った武将・村上義清の一族でもあり家臣でもあった出浦氏の一族の居城でもあったのです。
村上氏とともにもともと村上義清の一族は源氏の出身で、鎌倉時代には御家人として活躍しました。戦国時代も岩井堂山の北西にある山に葛尾城を築いてそこを居城とし、当時は北信濃一帯に勢力を広げていました。
その家臣である出浦氏の城は、岩井堂山の頂上に主郭があり、今も土塁の跡を確認することができます。現在の登山道は南側から伸びていますが、当時は西側から攻め込まれることを想定していたようで、主郭の西側が横堀で遮られる形になるなど、当時の様子をしのぶことができます。
主君の村上氏は、周知のごとく、上田原合戦や戸石城合戦で武田信玄を二度も打ち破っています。
しかし、真田幸隆によって戸石城が落とされ、さらに一族の屋代氏が裏切って武田方に寝返ったりしたことから窮地に追い込まれ、最後には葛尾城も攻め落とされます。その後は越後へ落ちていきました。
こうした中で、出浦氏は武田方に下り、一族の中には真田氏に仕えたり、その後江戸時代になると幕臣にまでなった者もいたといいます。
日本の「ピラミッド」は、このように戦国時代から江戸時代までの人の流れを静かに見つめていたのです。
参考資料
城郭図鑑
城郭放浪記「信濃出浦城」
城郭放浪記「信濃葛尾城」
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