『どうする家康』「家康と信玄が会うことはできるか?」時代考証の影にあったのは?歴史学者・平山優インタビュー (2/3ページ)
しかし、歴史というのは細部を分析することによって初めて、リアリティが出てくると考えているんです。ですから、軍勢がどこをどういうふうに通ったのかは、非常に大切なことなんです。
歴史研究の楽しさは、史料から事実を探り当てることに尽きますね。それでいて、何百年も前の史料が毎年新たに見つかるから、驚きです。
■すべてを史実通りにすればいいわけではありません
実は、新たな発見には大河ドラマが一役買っていることも多いんです。有名なのは、昭和44年に『天と地と』が放送されたときの話。ドラマの中で信玄の花押が映り、それを見ていた人が「あれと同じのが書いてある文書がうちにある」と鑑定してもらったところ、まさしく信玄の手紙! しかも文中に、それまで実在が疑問視されていた『山本菅助(勘助)』の名があり、存在していた証のひとつとなりました。
今回時代考証をさせていただいている『どうする家康』でも、そんなことが起こるかもしれませんね。
ドラマの時代考証という仕事は、ふだんの研究と違う点もあります。それが、できるだけ脚本家が書きたいものを実現できるように、史実を提供するということ。
『どうする家康』でいうと、まず、制作陣と脚本の古沢良太さん、時代考証を担当する僕と小和田哲男さん、柴裕之さんとで、設定についての会議をします。具体的には「こういう話にしたいが、ありうるだろうか?」というお尋ねに我々が答えるという感じです。
前半部でもっとも時間を割いたのは「家康と信玄が会うことはできるか?」ということ。史実にはないのですが、さまざまな事柄を考え合わせて「この時期にこの場所だったら可能性はある」と提案しました。
第1稿ができたらそれを読ませてもらって、「これはおかしい」「不自然だ」という点をお伝えして、それを元に再度練り直した脚本を、また検証。そうやって最終稿までたどり着きます。とはいえ、すべてを史実通りにすればいいわけではありません。