分相応が一番!本多正信が徳川家康にお願いした“ある事”とは?【どうする家康】 (2/3ページ)
しかし、そんな正信に与えられた所領は相模国玉縄藩1万石(一説には2万石ほか)。天下の政治を舵取りする身にしては、ちょっと少ない気がします。
でも、正信は自分の石高に満足しており、息子の本多正純(まさずみ)に常々こう言っていたとか。
「よいか息子よ。これからそなたも奉公に励み、ご加増の話があるやも知れぬ。しかしお受けするのは必ず3万石までとせよ。過分の禄高は必ずやそなたのためにならぬ」
そして、家康に対してもかねてお願いしていたと言います。
「上様。我が奉公に報いたいとお思い下さるならば、どうか我が子孫には3万石を超えるご加増はご遠慮いただきたい」
所領を増やしてくれと願う者はたくさんいる中で、逆に増やさないでくれと願うのはどうした訳でしょうか。
「人間は分相応が一番にございます。我が器量において3万石を超える所領は存分に治めること叶わず、当家においても領民においても不幸なこと。遠からず身を亡ぼす元となりましょう。ゆえにご加増は3万石までお願い申し上げた」
まぁ、それが当人の希望なら……ということで家康は正信に加増することはありませんでした。
終わりにしかし元和2年(1616年)4月17日に家康が世を去り、後を追うよう6月7日に正信も世を去ると、正純は遺言に背いて5万3千石(下野国小山藩)に加増を受けてしまいます。
更に元和5年(1619年)、下野国宇津宮藩15万5千石へ加増されました。さしたる武功もないのに過分の厚遇……周囲から怨みを買った正純は、やがて失脚の憂き目をみることに。