織田信長もお気に入り!「長篠のヒゲ」こと豪傑・大久保忠佐の武勇伝【どうする家康】 (3/4ページ)
続けて「彼らはよき膏薬(かうやく。塗り薬)じゃ。敵に『みつたり』とついて離れぬわい」とのこと。
後に「膏薬侍(こうやくざむらい)」と呼ばれた大久保兄弟の由来。また『寛政重脩諸家譜』にはこんなエピソードもありました。
……天正三年長篠に軍を出したまふのとき、仰によりて兄忠世と列して両手にわかれ、麾下の鉄炮をつかさどり、かはるがはるこれを発して大に勝頼が軍を破る。このとき織田右府忠佐が進退衆にすぐれたるを見て、髯多き武者は誰なるやとはしむ。三河の士大久保治右衛門忠佐といふものなりとこたふ。右府其勇武を歎美す。のち東照宮右府の軍に会したまふごとに、長篠の髯はしたがひたてまつるやいなやとゝはる。……
※『寛政重脩諸家譜』巻第七百七 藤原氏(道兼流)大久保
【意訳】長篠の合戦において、大久保兄弟(忠世・忠佐)は二手に分かれて鉄砲足軽を率い、交代に撃つことで武田勝頼(たけだ かつより)の軍勢を打ち破った。
これを見た信長が忠佐の采配ぶりを見て「あのヒゲもじゃの武者は誰か。進退衆にすぐれたり」と称賛。以来いたく気に入られたようで、その後も家康が信長に会うたび「あの長篠のヒゲは来ておるか?」と尋ねられたという。
あまり人に懐かなそうな信長が、忠佐にあったらどんな顔で出迎えたんでしょうね。
終わりにその後も武田征伐や小牧・長久手の合戦、天下分け目の関ヶ原でも武功を重ねた大久保忠佐。ついには駿河国沼津2万石の大名となります。