織田信長もお気に入り!「長篠のヒゲ」こと豪傑・大久保忠佐の武勇伝【どうする家康】 (2/4ページ)
忠佐の武勇は戦場にあって衆目を引きつけ、三方ヶ原のリベンジとも言える長篠の合戦(天正3・1575年5月21日)では、あの織田信長(おだ のぶなが)さえ感心せずにはいられませんでした。
忠佐の活躍ぶりに目を見張る信長(イメージ)「長篠合戦図屏風」より
……我等が譜代久敷者。金之あげはのてうのはた。大久保七郎右衛門と申而。こくもちが。
兄丹て候。あさ紀“のこくもちハ。大久保次右衛門と申而。てうの■■。弟丹て候と仰けれバ。急立帰。此由申けれバ。信長。聞召而。さても家康ハ。よき者をもたれたり。我ハかれらホどの者おバもたぬぞ。此者共ハ。よき可うやくにて有り。敵に盈つたりと付而。は奈れぬと仰けり。……※大久保忠教『三河物語』より
【意訳】彼らは、我が徳川家に代々仕える忠臣である。金の揚羽蝶の旗印は兄の大久保七郎右衛門(しちろうゑもん。忠世)。黒地丸に白抜き(こくもち。黒餅)が兄で、浅葱(あさぎ)色の方は大久保次右衛門(じゑもん、治右衛門。忠佐)という弟である。
その活躍を見届けた信長は「さても家康はよき家臣を持たれたものだ。我が織田家に彼らほどの者はおらぬ」と絶賛した。