関ヶ原に遅参した秀忠を許す?どうする?家康を諫めた本多正信のエピソード【どうする家康】 (2/3ページ)
「こんな小城、一息にもみ潰してくれるわ!」
……と思ったら意外や意外。小勢ながらも老練な真田は巧みな駆け引きで秀忠の大軍を翻弄。そのまま無視することも出来ない内に日を費やし、とうとう関ヶ原の決戦に間に合わなかったという次第です。
「誠に申し訳ございませぬ!」
「いいや許さん!佐抛大明神(さなぎだいみょうじん※)に誓って、そなたの顔など二度と……」
※大和国吉野郡(奈良県吉野郡吉野町吉野山)に鎮座、御祭神は怪力で知られる天之手力男神(アメノタヂカラオノカミ)。佐抛は「さ(強調)投ぎ=放り投げ」に通じ、家康は「秀忠を放り投げる≒絶縁」しようとしていたのでしょう。
そこまで言った家康の口へ、とっさに手を押し当てたのが本多正信。
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「暫く!その先は言わせませぬぞ」
「ぶはっ……佐渡、何をするか!」
「その御短気で三郎(徳川信康)様を失われたのに、まだ懲りませぬか!」
ついカッとなって勢いで物事を決めた結果、大事な嫡男であった徳川信康(のぶやす)をみすみす切腹させてしまった苦い思い出が脳裏をよぎります。
「……あの時、織田殿の言われるままに死なせてしまったが、よく調べるなり弁解するなり手はあったやも知れんなぁ」
「左様。いっときの感情で取り返しのつかぬことをなされては、必ずや後で悔やまれましょうぞ」
「……相分かった」
かくして秀忠は遅参の罪を赦され、ぶじ徳川の家督を受け継いだのでした。