悲恋の伝説!歌人・小野小町と深草少将の「百夜通い」が切なすぎた

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悲恋の伝説!歌人・小野小町と深草少将の「百夜通い」が切なすぎた

日本の歴史上、文学史上において、切ない恋や悲しい恋をテーマにしたものは数多くあります。今回はそのなかのひとつである小野小町と深草少将の「百夜通い」について詳しくご紹介したいと思います。

小野小町とは?

小野小町は、平安時代の中期に活躍し、六歌仙のひとりでもある女流歌人です。彼女の詳しい系譜などはわかっていませんが、絶世の美女としてのエピソードが残っています。彼女は、情熱的であることが特徴。

大友黒主(おおとものくろぬし)という歌人は、彼女と歌合せをしたときに、彼女の歌の方が評判が良かったことから、「小町の歌は万葉集の盗作である」と批判したと言われています。

ちなみに小野小町は、歌だけでなく書道、踊り、琴などの才能も豊かだったとか。

深草少将とは?

深草少将(ふかくさのしょうしょう)は伝説上の人物で、「小野小町に対する愛情が深い男性」ということから、後世で世阿弥ら能作者が創作しました。深草・墨染の欣浄寺(京都市伏見区)に屋敷があったともされています。

悲恋!?「百夜通(ももよがよ)い」とは?

小野小町に熱心に求愛していた深草少将。そんな彼を疎ましく思っていた小野小町は、彼に「私のもとを百夜訪ねてきてくれたら、あなたの心に従いましょう」と条件を出します。小野小町は、彼に自分のことをあきらめさせるためにこのような無謀とも思える条件を出したのです。

しかし、深草少将は言われた通りに、毎晩小野小町のもとへ通います。深草から小野小町のいる小町の里まで、雨の日も約5kmとも(説によっては6kmとも)言われる距離を通い続けました。

ひたすら通い続けた深草少将。しかし、あと一夜というところで、大雪に見舞われてしまいます。疲労も重なり、なんと彼は力尽きてしまいます。

中世以降、この伝説は小野小町の恋愛を象徴するものとして、広まっていきました。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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