浮世絵師・河鍋暁斎が描いた「極楽行きの汽車」という極楽絵図 (2/5ページ)

心に残る家族葬

つまり「極楽」と「地獄」は、キリスト教における「天国」と「地獄」同様、互いになくてはならない相補的な関係でもあったのだ。

■室町時代、江戸時代の地獄極楽絵図

しかもこうした地獄絵や極楽絵を描き、それを今日でいう「テキスト」として用い、更に不特定多数の人々の前で「プレゼンテーション」を行うことは、その時代のみで消え去ることはなかった。

例えば室町時代後期~江戸時代初期において、戦乱による国内の乱れに伴い、信仰、或いは経済基盤が揺らいでいた、紀伊半島南部の聖地・熊野三山に属していた女性宗教者・比丘尼(びくに)らは、その維持・保存のために喜捨を求め、血の池地獄や賽の河原などが新たに付け加えられた「観心十界図(かんしんじゅっかいず)」と呼ばれる曼荼羅(まんだら)を携行し、多くの人々の前で絵解きをしながら、全国を経巡っていた。

江戸時代に入ると、加賀藩によって篤く保護された山岳信仰の聖地・立山(たてやま、現・富山県)信仰が、その拠点となっている芦峅寺(あしくらじ)や岩峅寺(いわくらじ)の僧侶たちによって、熊野比丘尼と同様に、地獄や極楽が鮮烈に描かれた「立山曼荼羅」を携えて全国に広められていった。

こうしたことから、巷には多種多様な地獄絵や極楽絵、十王(じゅうおう。閻魔王をはじめとする、冥界で死者を裁く十人の王)図、六道(ろくどう。地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人道・天道)図、十界(じっかい。六道に加え、声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖を合わせたもの)図など、多種多様なものが流布した。そしてそれらは主に、正月や盆明けの16日、彼岸などの重要な日に、参拝客の前で僧侶らによって絵解きがなされ、地獄の恐ろしさや仏の功徳がわかりやすく、かつ微に入り細に入り、示されてきたのである。

■河鍋暁斎が描いた「地獄極楽めぐり図」


ころで河鍋暁斎が描いた、『地獄極楽めぐり図』(1869~72)だが、現在は東京・丸の内の静嘉堂(せいかどう)文庫美術館に所蔵されている。

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