暗殺された夫の遺志を継いだ女城主・田鶴(関水渚)の奮戦と壮絶な最期【どうする家康】 (3/4ページ)
終わりに

……致実が妻女ながらもけなげなる正室にて夫の横死を憤り城兵を指揮し堅固に籠城し小国の武藤刑部丞をたのみ甲州の武田へ内通す神君此由聞召飯尾が家臣江間安芸同加賀両人へ御内意有て松下覚右衛門後藤太郎左衛門を御使とせられ徳川家へ其城を渡すに於てハ飯尾が幼子寡婦を御懇に御養育ありて其家人等悉く召抱られ御扶助有べしと仰ければ依て安芸加賀両人其旨を以て飯尾が妻を種々と諫めさとしけれども彼の妻さらに承引せず爰に於て引間の城を乗取とて酒井左衛門尉石川伯耆守両将を差向らる然に彼妻ハ防戦の指揮をなし城兵屡々突出て烈しく戦へバ寄手大に敗走せり其翌日ハ酒井石川又攻寄てはげしく攻立遂に外郭に乗込めバ飯尾が妻は緋縅の鎧に同じ毛の兜を着長刀をふるつて敵中に切て入る侍女婢七八人同じ粧ひ出立て城兵五六十人と同く勇戦し男女一人も残らず討死す彼妻死去就の是非ハ論ずるにたらされども其志操の説烈ハ丈夫にもまさりたりと感ぜぬ者奈し扨酒井石川の両将城を乗取れば左衛門尉に此城を守らしめらる江間安芸加賀の両人ハ最初より御内意を蒙りし者なればとて飯尾が所領ハ悉く此両人へ下されける(原書飯尾病死し氏真より其幼子に家督を継せしとあるハ誤之引間城攻の事ハ基業による)……
※『改正三河後風土記』巻第九「寺部上野城攻付飯尾豊前守の事」
かくして夫の後を追うように生涯を終えた田鶴。なお引間城は酒井忠次に預けられ、飯尾の遺領はことごとく江間安芸と江間加賀の両名に与えられます。
なお田鶴が椿姫と呼ばれたのは、その死を惜しむ人々が椿の花を植えたことに由来。彼女がいかに敬愛されていたかがよく解りますね。