金も銀も枯渇していく江戸時代…名だたる銀山が次々に閉山したその理由とは? (2/3ページ)
16世紀には世界の三分の一の量の銀貨を産出していた石見銀山・大森地区
このように金・銀が大量に海外へ流出してしまったのは、当時の日本と外国での価値の違いも関係がありました。
この頃、外国では金1枚が銀15枚分の価値を持っていました。これに対して、日本では金1枚が銀5枚分の価値しかなかったのです。
海外の商人はこのレートの違いに目を付けました。日本で銀を使って取引すると、自国で交換した場合の三倍もの量の金を持ち帰ることができる状態だったのです。
幕府による対応策は?もちろん幕府もこのような状況には気づいており、八代将軍である徳川吉宗の時代には、貿易依存の経済体制から脱却するべく絹・生糸・砂糖の日本国内での生産を推進しています。
例えば、現在は特産品としてよく知られている砂糖・和三盆も、こうした時代状況の中で開発されたのでした。
また、交易で使われる通貨も改良され、貨幣の金・銀の含有量が減らされます。