「どうする家康」甲斐の虎、ついに始動!そして女城主の壮絶な最期…第11回放送「信玄との密約」振り返り
「今川領……駿河と遠江。駿河からは我らが、遠江からは、そなたが互いに切り取り次第で、いかがか……ようござるな」
そう串団子を突きつけた武田信玄(演:阿部寛)に対し、辛うじて一口だけかじった徳川家康(演:松本潤)。
ニヤリと笑って残りの団子一つ半を丸呑みにする信玄。二つの団子が象徴するのは今川氏真(演:溝端淳平)の領する駿河・遠江二ヶ国でした。
まんまと駿河を制圧した信玄は、早くも遠江へと侵略の矛先を向けます。家康が団子一つを丸呑みする度胸があれば、駿河一国で収まっていたでしょうか。
このままでは武田に遠江まで奪われてしまう。家康は今川方の田鶴(演:関水渚)が守る引間城へ兵を進め、降伏を勧めるも拒絶されてしまいました。
そして田鶴は籠城するかと思いきや、いきなり開門して全軍突撃、あえなく玉砕……ドラマ進行の都合でしょうか。ただ「散り際の美しさ」ありきの展開に、少し拍子抜けの感は否めません。
何はともあれNHK大河ドラマ「どうする家康」第11回放送は「信玄との密約」。いきなり瀬名(演:有村架純。築山殿)と田鶴の友情エピソードを回想で後付けされても感情移入しにくいのですが、今でもファンが多い彼女だけに勿体なかったですね。
個人的には、ついに始動した「甲斐の虎」信玄公がカッコよくて最高!な回でした。それでは今週も、張り切って振り返りといきましょう。
源氏の末裔が、なぜ「藤原」家康に?松平家が源氏の末裔なんて、怪しいものじゃ……そうぼやいて三河守への任官を面倒がる家康。
しかしこの当時、朝廷から(たとえ名目上でも)国司に任じられることは国内統治において大きな影響力を持ちました。そんな堅苦しいものは要らない、めんどくさい等と一笑に付せるものではありません。
だからみんなで家系図をひっくり返して(捏造して?)、年額300貫の賄賂を積んででもも公家に仲介を頼み、晴れて三河守になったのですが……。
祝賀の垂れ幕には「従五位下徳川三河守『藤原』家康朝臣」と。
あれ?三河守になるには源氏の末裔であることが条件だったのでは?そう思った視聴者は少なくないはず。
実は松平家は清和源氏の末裔を自称していましたが、三河守の任官は藤原氏に限るとのこと。
そこで祖先を遡り、得川(とくがわ、えがわ)氏が藤原氏にもつながると主張。
【松平氏略系図】
……源清信-源清義-得川義季-頼氏-家時-満義-■義-親季-親氏-信光-親忠-長忠-信忠-世良田清康-広忠-家康……
※NHK大河ドラマ「どうする家康」劇中の家系図より(諸説あり)
果たして家康は永禄9年(1566年)12月29日に三河守となったのでした。
……九年十二月廿九日叙爵し給ひ三河守と称せられ……
※『東照宮御実紀』巻二 永禄七年-同十一年「永禄九年家康叙爵任三河守尋兼左京大夫」
文中の叙爵とは五位以上の位階を授かる(叙せられる)こと。なお、江戸幕府の公式記録『徳川実紀附録』によると、家康が徳川を称したのはそれから3年後の永禄12年(1569年)1月3日であるとの記述があります。
……永禄十二年これより先松平の御称号を止められ。徳川の舊氏を用ひ給ひしかども。舊冬此よしはじめて京都将軍家(義昭。)へ申請れ。近衛左大臣前久公もて叡聞に達せられ。去冬十二月九日 勅許ありて。この正月三日将軍家より口宣案にそへて御内書御太刀を贈らる。(武徳編年集成。)
改年之吉兆珍重々々。更不有休期候抑
徳川之儀遂執 奏候處。
勅許候。然者口宣案并女房奉書申調
指下之申候。尤目出度候。仍太刀一腰進上候。
誠表祝儀計候。萬々可申通候也。
正月三日 義昭
徳川三河守殿※『東照宮御実紀附録』巻二「文禄(原文ママ)十二年勅許徳川称号」より
単なる年号の書き間違いか、あるいはまず三河守に任官してから、後付けで徳川と改姓したのかも知れません。
ちなみに石川数正(演:松重豊)が「(祖先をいくらでもでっち上げられるなら)私もヤマトタケルの末裔かも知れん」と笑っていましたが、石川氏は清和源氏の末裔ですから、実際その通りになります(系図は割愛)。
なお、家康は後に征夷大将軍となるために姓を藤原氏から源氏に戻しています。結構アバウトな時代だったようですが、こちらも多額の費用がかかったのは言うまでもありません。
知らぬは氏真ばかりなり……今川家臣団への調略穴山「哀れなものよ、今川氏真。知らぬは本人ばかりなりじゃ」
山県「お下知あらば、いつでも駿府を落とせます」
信玄「おぅ、上首尾じゃ」
駿府攻略に向けて、今川家臣団へ調略を仕掛ける武田家。周到な根回しと十分な勝算をもって、初めて精強な軍勢を動かすのが信玄流でした。戦う前から、既に勝負は決まっていたのです。
せっかくなので、劇中に名前の出て来た今川家臣団の名前を拾ってみましょう。
【既に寝返ったと言及あり】
庵原⇒庵原弥右衛門(いはら やゑもん)か 大原肥前守⇒大原資良(おおはら すけよし) 葛山備中守⇒葛山氏元(かずらやま うじもと) 瀬名源五郎⇒瀬名信輝(せな のぶてる) 三浦右馬助⇒三浦員久(みうら かずひさ)【間もなく寝返ると言及あり】
朝比奈右兵衛⇒朝比奈信良(あさひな のぶよし) 一宮六兵衛尉⇒不詳【その他】
富士兵部少輔⇒富士信忠(ふじ のぶただ) 菅沼刑部丞⇒菅沼定忠(すがぬま さだただ) 奥平美作守⇒奥平定能(おくだいら さだよし)※名前は地図にあったものを判読。⇒は推定
次々と裏切る今川家臣団。かくして氏真は駿府を追われてしまいました。
かの今川氏真は日にそひ家人どもにもうとまれ背くもの多くなりゆくをみて。甲斐の武田信玄入道情なくも甥舅のちなみをすてゝ軍を出し。駿河の国はいふまでもなし。氏真が領する国郡を侵し奪はんとす。氏真いかでか是を防ぐ事を得べき。忽に城を出で砥城の山家へ迯かくれしに。朝比奈備中守泰能は心ある者にて。をのが遠江の国懸川の城へむかへとりてはごくみたり。
※『東照宮御實紀』巻二 永禄七年-同十一年「信玄滅今川氏」
【意訳】今川氏真は日ごとに家臣の信望を失い、多くの離反者を出した。これを好機と甲斐の武田信玄は甥(氏真)を見捨てて駿河へ出兵。氏真は手立てもなく駿府を放棄、山中へ逃れたところ、朝比奈泰能(あさひな やすよし。備中守)がこれを保護。掛川城へ迎え入れた。
次週・第12回放送「氏真」は掛川城が舞台となるようです。氏真がどこまで善戦するかが見どころとなるでしょう。
なお朝比奈泰能はこの時点で既に亡くなっており、氏真を保護したのは備中守を襲名した嫡男の朝比奈泰朝(やすとも)と考えられます。
境界線の「川切」とは?信玄との密約
格下扱いされたことに腹を立て、交渉の席を蹴った家康たち。本人のいないところで信玄を「甲斐の猫」などと笑っていると、いつの間にか大入道が出現。
信玄公とお茶をしながら押しくらまんじゅう、いつしか本人と気づいた時には刺客がこちらを狙っていました(せっかくなので、あのカラス天狗軍団をズラッと囲ませても怖さが引き立ちましたね)。
「猫は嫌いじゃない。起きたい時に起きて、寝たい時に寝る。わしもあやかりたいもんじゃ」永年にわたり「甲斐の虎」として戦い続け、天下に武名を馳せた信玄ならでは深みのあるセリフです。
さて、二つのお団子じゃなくて今川領の駿河と遠江。これを分け合う(共同で攻める)武田と徳川で盟約を交わしました。
……是よりさき信玄入道は駿府に攻入らんにハ。後を心安くせずしてはかなふべからずと思ひ。まづ当家に使進らせ。大井川を限り遠州ハ御心の儘に切おさめ給ふべし。駿州は入道が意にまかせ給はるべしといはせければ。……
※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年「家康與信玄約分領駿遠」
【意訳】駿府へ攻め込むに際して、信玄は家康に使者を発した。「大井川を境界として遠江国は徳川殿がお好きに切治め給え。駿河国は我らにお任せ給え」とのこと。
大井川は駿河と遠江の両国を分ける境界ですから、文字通り駿河と遠江をそれぞれ分け合う意味になります。もう少し詳しい記述が『東照宮御実紀附録』にありました。
……同年十一月武田信玄御英名を志たひ。家人下条弾正して酒井左衛門尉忠次に書簡を贈り。この後は両家慇懃を通ずべきよしをのぶ。其書の表に啐啄の二字をしるせり。人々いかなる故を詳にせず。其頃伊勢の僧江南和尚といへるがたまゝゝ岡崎を過て東国に赴かむとするにより。石川日向守家成この字義をとひしかば。鳥の卵殻を破るにその時節あり。早ければ水になり遅ければ腐るといふ意なりと答へけるよし御聴に達し。すべて萬事に時を失はざるをもて肝要とす。主将たらん者は殊更此意を失ふまじと宣ひしなり。後に又柴田小兵衛正員をめし。鷹をかふにもよく夜据をなし。時節を伺ふて鳥を捉事は。昔聞し啐啄の意なりと仰られしとぞ。……
※『東照宮御実紀附録』巻二「信玄通家康」より
啐啄(そったく)とは、鳥のヒナが生まれる時、卵の殻を中と外からつつくこと。タイミングが早いと水になって(未熟なヒナが死んで)しまい、遅ければ中で死んで腐ってしまいます。
つまり「機が熟したので、共に今川を攻めよう」という事ですが、果たして作戦は成功。それぞれ所領を拡大しますが、後に信玄は欲を出したのでした。
駿河攻略が上手くいったので、この勢いで遠江ひいては三河まで併呑できると思ったのでしょう。
信玄の主張した「川切」概略図。武田(赤)・徳川(緑)の境界を天龍川と主張(イメージ)
……誓紙の文に川をかぎりて両国の分界とせむとかき定られしは。大井川の事にてありけり。志かるを入道が心中には。 当家いまだ御若年におはしませば。今川義元が扱ひ奉りし折のことくせむと思ひあなづり。三河の里民の人質などをとりしゆへ。こなたより咎め給へば。誓紙に川切と志るせしは天龍川切なりといふ。こゝにて大にいからせ給ひ。天龍川はわが城溝のこときものなり。何ゆへに天龍切といふべきや。かゝる権譎のやからは行末たのまれずと仰有て遂に隣交を絶れしなり。(武辺咄聞書。古人物語。)……
※『東照宮御実紀附録』巻二「家康絶信玄(領地分界之紛議)」より
「確かに以前『大井川を境に』とは言ったが、正式な誓約書には『川切(かわぎり。川を限り≒境界に)』と書いてある。どの川とは書いておらぬが、それは天龍川(大井川よりもっと西)の事なのだ!」
「そんなバカな!天竜川と言ったら遠江国の半分以上ではないか!」
「……ちゃんと書面を読まんで署名捺印するからそうなるんじゃ。それにそなた、あの時に団子を半分しか食わなかったではないか」
「いや、そんな意味と知っていれば……」
なんてやりとりがあったか無かったか(フィクションですが)、後に家康が古狸となったのは、信玄に騙され……もとい薫陶を受けたからかも知れませんね。
田鶴の最期、家康の不覚悟
そして今川の世を取り戻すため、家康の前に凛然と立ちはだかる女城主・お田鶴……あの、お田鶴様、ちょっと!?
……今回の彼女は、セリフと行動が実にちぐはぐ過ぎた感が否めません。領民に対して「そなたたちの暮らしは、この田鶴が守るでな」と言いながら、全然守る気がなかったのはなぜでしょうか。
今川の世を守りたいなら、まず家康に勝たねばならず、家康に勝つためには籠城して後詰(ごづめ。攻め手の背後を詰める、つまり援軍)を待つのが定石です。
彼女が守っていた引間城は、亡き夫・飯尾連龍(演:渡部豪太)が二度にわたって今川の大軍を退けた堅城。連龍の用兵を間近で学んでいた(※)彼女なら、これを活かさぬ手はありません。
(※)もちろん傍にいても学ばない可能性はあるものの、もしそんな危機感のない女性であれば、夫亡き後に城を守ろうともしなかったでしょう。
いや、そうは言っても今川家臣団は次々と武田へ寝返ってしまい、もはや彼女は孤立無援状態だった。だから華々しく散るべくいきなり出撃したのだ……そう考えられるかも知れません。
しかし先述した掛川城の朝比奈泰能(実際には子の泰朝)はじめ氏真を支え続けた忠臣はまだいましたし、もしその気ならば連携は十分に可能であったと考えられます。
ただし実際(というより伝承・通説)の田鶴は夫を謀殺された怨みから今川を見限っており、武田の援軍が来るまで持ちこたえようと籠城したものの、家康に滅ぼされてしまいました。
話をドラマに戻すと、まだ戦闘も始まらない内から城に火をかけてしまいます。確かに炎を背負うと画面映えはするのですが、味方にとって何一つ得がありません。
かくして鉄砲がずらりと待ち受けている中へ無防備に突撃……もはや「少しでも美しくカッコよく殺してくれ」と言わんばかりです。
椿のように凛と咲き、美しく散って行く姿は実に見栄えこそしたものの、それありきな演出・展開が少し残念でした。
それよりもっと残念なのが家康の態度。兵を出せば人は死ぬ、敵が和を拒むなら殺さねば見方が殺される……そういう覚悟もないまま前線へやってきて「やめろ、撃つな」はないでしょう。
殿の発言(真意)はつまり「たとえお前らは殺されても、彼女は殺すな」と言っているに等しい。降伏勧告を拒否されて「陣を下げろ」と言った時に石川数正がふと見せた苦い表情は、そんな家康に嫌気が差したようにも見えました(気のせいですよね、きっと)。
これまでも劇中ちょくちょく「覚醒」した(っぽい素振りを見せた)家康ですが、後何回「覚醒」すれば、この家康は「我らが神の君」にお近づき下さるのでしょうか。
きっと現時点では、瀬名への言い訳で頭が一杯なのだろうな、と数正ならずとも頭を抱えてしまいますね。
次週・第12回放送は「氏真」……ってまんまやないかい(もうちょっと捻りませんか?)!
恐らく次週は駿府から掛川城へと落ち延びた今川氏真が徹底抗戦の末、家康との一騎討を演じた末に投降する展開が予想されます。
偉大なる亡父・今川義元(演:野村萬斎)を超えられず、劣等感に苦しみ続けてきた氏真が、武士として見せる最後の意地。次回初登場となる正室・糸(演:志田未来。早川殿)との絆も見どころです。
どうする家康、どうなる氏真……次週も目が離せませんね!
※参考文献:
『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 前編』NHK出版、2023年1月 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 成島司直『改正三河後風土記 上』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan