瀬名と似たのはどの辺り?徳川家康の長女・亀姫が歩んだ生涯【どうする家康】 (3/3ページ)
亀姫は信昌を大いに叱咤激励して武功を立てさせ、慶長6年(1601年)に信昌が美濃国加納10万石を与えられると、当地へ移り住んで加納御前(かのうごぜん。加納の方)と呼ばれました。
やがて家督を継いだ忠政が慶長19年(1614年)に亡くなり、後を追うように信昌が翌慶長20年(1615年)に亡くなると、亀姫は孫の奥平忠隆(ただたか。第3代加納藩主)を後見します。
まだ幼い忠隆(当時8歳)に代わって藩政を取り仕切った亀姫は、実質的に女大名として家臣や領民たちに君臨したのでした。
そして寛永2年(1625年)に66歳で生涯の幕を閉じます。戒名は盛徳院殿香林慈雲大姉(せいとくいんでんこうりんじうんだいし)、墓は美濃光国寺(岐阜県岐阜市)・三河法蔵寺(愛知県岡崎市)・三河大善寺(同県新城市)にあるそうです。
終わりに
以上、徳川家康と築山殿の長女・亀姫について生涯をたどってきました。
母親似の嫉妬深さ、そして気の強さは「もし築山殿が長く生きていたら、きっと家康を尻にしいていたかも知れない」と思わせますね。
しかしそのくらいでないと、厳しい戦国乱世を生き抜いていけません。果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」の亀姫はどんな活躍を魅せてくれるのか、當真あみの演技に注目です!
※参考文献:
『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 阿部猛ら編『戦国人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年9月 黒田基樹『家康の正妻 築山殿 悲劇の生涯をたどる』平凡社新書、2022年10月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan