NHK朝ドラ「らんまん」のモデル・牧野富太郎ってどんな人?その生涯と学問的業績を解説

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NHK朝ドラ「らんまん」のモデル・牧野富太郎ってどんな人?その生涯と学問的業績を解説

植物分類学のレジェンド

新年度のNHKの朝ドラ「らんまん」の主人公は、明治・大正時代に活躍した、植物分類学の父とされる牧野富太郎です。

牧野富太郎(Wikipediaより)

名前を聞いたことがある、という程度の人にとっては地味なイメージの人物かも知れません。しかしその生涯は波乱万丈で、NHKも実に面白い題材を選んだものです。

牧野富太郎はどんな人物だったのでしょうか。彼は文久2年(1862年)に現在の高知県で生まれ、豊かな自然に囲まれた環境で幼少期を過ごし、植物に興味を持って自ら学び始めました。

その後、明治17年(1884年)に東京大学理学部の植物学教室で研究を深め、日本人として初めて新種のヤマトグサに学名をつけるという功績を果たしました。

そして牧野は、40万枚以上の植物標本を収集し、約1500種類の植物に命名し、日本植物分類学の基礎を築くことに貢献します。また、現在でも研究者や学者にとって必携・必読の書とされる『牧野日本植物図鑑』を刊行しました。

10月の牧野植物園(高知県)

一方で、その人生は決して順風満帆なものではなく、植物学教室の教授である矢田部良吉との確執や、研究のための金銭的出費による経済的な苦境にも直面しています。

尽きない情熱

しかし、困難な状況にもかかわらず、彼は植物の研究をあきらめず、『大日本植物志』を刊行。さらに各地で講師を務めたり、同好会を立ち上げたりして、植物知識の普及にも尽力しました。

また牧野は、家族や周囲の支えを受けながら、全国を巡って植物についての知識を広めることに熱心に取り組みました。その努力は、1953年には東京都名誉都民、1957年には文化勲章を受章するなどの形で結実し、高い評価を受けます。

牧野富太郎墓碑(Wikipediaより)

牧野富太郎の人生は、植物への深い愛情と、その研究に対する熱意、そして周囲の支えによって成り立っていました。

彼の功績は、今も植物学の世界で重要な位置を占めています。NHKの朝ドラで彼の生涯を描くことで、彼の素晴らしい業績と苦労・情熱に満ちた生涯がさらに知られるようになればと思います。

参考資料
牧野富太郎について – 練馬区立牧野記念庭園
高知県立牧野植物園 THE KOCHI PREFECTURAL MAKINO BOTANICAL GARDEN

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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