「男色」は武士のたしなみ!?徳川家康が寵愛した美少年・井伊直政との絆【後編】 (3/4ページ)

Japaaan

「神君伊賀越え」で見せた直政の覚悟のほど

「伊賀越え」のルート(写真:wiki)

本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれた際、摂津国堺にいた家康は、
このままでは明智軍に討ち取られる可能性が大・かつ少数の家臣しか連れていない・万が一明智軍を撒けたところで山中で一揆勢や落ち武者狩りに遭う可能性がある……などの理由から、「無様な死に様を晒す」よりは自死しようと決意。

しかしながら、本多忠勝らに説得され三河国に帰ることを決め、有名な「神君伊賀越え」を行うこととなります。

その途中、極限の空腹に状態だった家康一行は、神社の供え物であった赤飯を拝借。唯一口にしなかったのが井伊直政でした。

家康が「遠慮はいらんから食べるがよい」と勧めても、井伊直政は毅然とした態度で「敵が迫ってきたら、自分はここに踏みとどまって討ち死にする覚悟。死後に腹の中から赤飯が出たら『飢えのあまりに供え物に手を出した』と言われるでしょう。そうなれば武士の名折れです」と断固として食べませんでした。

容色に恵まれた美青年であり、なおかつ頭の回転がよく文武両道。非常にプライドが高く、ときには不遜な物言いをしてトラブルを引き起こしたこともあるという井伊直助。しかしながら戦いでは命がけで家康を守って勇猛果敢に活躍……

そんな武士としての誇り高く勇敢で忠実な性格であることも、家康が信頼を寄せかつ寵愛してやまなかった理由ではないでしょうか。

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