商人として活躍した茶屋四郎次郎、実は武士としても有能だった【どうする家康】 (2/4ページ)

Japaaan

本多忠勝と並び立つ?三方ヶ原・伊賀越えで大活躍

NHK大河ドラマ「どうする家康」公式ページより

……四郎次郎清延は岡崎城主徳川家康に仕え、常に近侍して戦場に出ること五十三回、三方ヶ原の戦に殊功を立て、家康自ら橘をとって之を授け、「橘はこれ瑞祥なり、宜敷以て汝の家紋とすべし」と称され、以後これを用いたといわれる。其の後、前記百足屋町に住み、本能寺の変に際しては、本多忠勝と計を図って、伊賀路を経て家康を無事岡崎に帰還せしめ、家康の寵愛を受け、徳川家呉服所・御用達商人となった。……

※足立政男「近世における京都室町商人の系譜(1)」

茶屋四郎次郎は元の名を中島清延(なかじま きよのぶ)と言いました。父の中島明延(あきのぶ)は信濃守護の小笠原長時(おがさわら ながとき)に仕えていたものの、負傷により引退。

京都で呉服商を始めたところ、やがて第13代室町将軍・足利義輝(あしかが よしてる)が遊びにきて茶を飲むようになったことから「茶屋」の屋号を授かります(あるいはいつしか誰ともなく呼ぶようになったのでしょうか)。

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