商人として活躍した茶屋四郎次郎、実は武士としても有能だった【どうする家康】 (4/4ページ)
やがて京都で呉服商を継いだ茶屋四郎次郎は、兵具の調達や上方の情報を伝えるなど重要な役割を果たしました。
そして天正10年(1582年)6月2日に織田信長(演:岡田准一)が本能寺で横死すると(本能寺の変)、堺にいた家康たちにいち早く急報を伝えます。
本多忠勝らと力を合わせて家康は三河へ脱出成功。これが家康三大危機の一つ「神君伊賀越え」です(残り二つは、三河一向一揆と三方ヶ原合戦)。
まさに家康の左右を補佐して天下取りへと導く「左近の桜、右近の橘」として活躍したのでした。
終わりにこの功績をもって徳川家の御用商人となった茶屋四郎次郎は慶長元年(1596年)閏7月27日に52歳で世を去りました。
以来「茶屋四郎次郎」の名前は代々襲名され、息子の清忠(きよただ)・清次(きよつぐ)たちに受け継がれていきます。
実際には武士としても有能だった茶屋四郎次郎。大河ドラマの劇中でも、その片鱗を覗かせてくれると嬉しいです。これからも、中村勘九郎さんの好演から目が離せませんね!
※参考文献:
足立政男「近世における京都室町商人の系譜(1)」 中田易直「茶屋四郎次郎由緒考」日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan