織田信長が「楽市令(楽市・楽座)」を出したのはなぜ?その社会的背景を探る (2/3ページ)
寺社や貴族にお金を払うことでようやく商売が成り立つという構図は、今で言えば商売人が暴力団にみかじめ料を支払うのと同じようなものでした。特に当時の寺社は現代のような穏健な組織ではなく、本当に暴力団のような性格も持っていたのです。
こうした「座」のシステムを廃止して、誰でも簡単に商売ができることで流通を円滑にし、経済を活性化させるのが信長の目的でした。
その結果、市場は栄えましたが、商人から金銭を得ていた寺社は信長に反発し、敵視するようになります。信長が宗教団体と対立していく火種は、こうしたところに存在していました。
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ところでこの楽市令は、天才・織田信長による画期的で大胆な政策と捉えられがちですが、実際には1549年に六角定頼が、そして1566年には今川氏真が、それぞれ信長に先んじて実施しています。よってこれは信長独自のアイデアではありません。