”見せしめ要素” が強かった江戸時代の残忍すぎる刑罰の数々。刑場はあえて人々の往来が多い場所に (3/4ページ)
罪を犯した者は、採決が下るまで、どの刑罰が処せられるのか、全くわからなかったのです。
刑罰の執行場所である刑場は、刑罰が見せしめであることを強調するための場所として重要な役割を果たしていました。もともとは、浅草と芝にありましたが、江戸の町が発展し、大きくなっていくのに伴い、より市街地から遠ざけられる形で移転しました。
小塚原刑場と鈴ヶ森刑場は、それぞれ千住と品川に位置しており、江戸の街からやや遠くに設置されました。
かつて小塚原刑場のあった場所。現在は「小塚原の首切地蔵」が鎮座する
間口60間(108メートル)、奥行30間余(54メートル)程あった小塚原刑場は、特に斬首刑が多く行われた場所で、獄門の刑が執行された後、首は三日間刑場で晒しものとされました。
一方、間口40間(74メートル)、奥行9間(16.2メートル)あった鈴ヶ森刑場では、磔獄門や火炙り、串刺しなど、より残酷な処刑が行われたと伝えられています。
これらの刑場は、五街道に面しており、多くの人々が往来していました。