なぜ豊臣秀吉は「関白」の地位を望んだのか?征夷大将軍ではなく貴族のポジションを選んだその理由 (2/3ページ)
そもそも公卿というのが、従三位以上の貴族を指し、朝廷の政治を担う存在です。かつての室町幕府では、将軍を除けばその一族の一握りの有力者しか就任していないという特別な地位でした。
その公卿になっただけでも異例なのに、そのたった四か月後には、彼は朝廷内で臣下の最高位である関白にまで出世したのです。
もちろん、何の理由もなく任ぜられたわけではありません。秀吉は、五摂家(近衛・一条・九条・鷹司・二条)筆頭である近衛前久の猶子になり、もともと関白任官が可能になるようにしていたのです。
こうして、五摂家以外で関白に就任した、日本史上初の事例ができあがったのでした。
では改めて、なぜ秀吉は征夷大将軍ではなく関白の地位を望んだのでしょうか。
秀吉の目論見は?彼が関白になったのは、朝廷内での対立に彼が介入したことが理由でした。当時は、関白である二条昭実と内大臣の近衛信輔が対立しており、双方が秀吉に相談していたのです。