なぜ豊臣秀吉は「関白」の地位を望んだのか?征夷大将軍ではなく貴族のポジションを選んだその理由 (1/3ページ)

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なぜ豊臣秀吉は「関白」の地位を望んだのか?征夷大将軍ではなく貴族のポジションを選んだその理由

「貴族」豊臣秀吉?

豊臣秀吉といえばもちろん「戦国武将」ですが、しかしよくよく考えてみると、実は彼は貴族でもありました。なぜなら1585年、関白に就任しているからです。

この関白就任そのものは誰でも知っていることですが、だから彼は貴族なのだと言われると、ちょっとした違和感を感じますね。

豊臣秀吉像

それにしても、彼はなぜ関白に就任したのでしょう。武家として統一政権を構築するなら、征夷大将軍となって幕府を開くのが普通です。しかしそこはさすがの豊臣秀吉で、彼なりの謀略があったのです。

公卿から関白へ

小牧・長久手の戦いが終わったのが1584年で、秀吉はその翌年の3月に正二位・内大臣に叙任され、公卿となります。そして紀伊制圧、四国の長宗我部元親討伐を進める7月には、今度は関白に任じられました。

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