血で血を洗う戦いの始まりから収束まで…織田信長と本願寺が対立し続けた理由とその経緯【後編】 (2/3ページ)
しかし信長も負けてはおらず、1578年には全体を鉄で覆った鉄甲船を投入。村上水軍からの火矢を蹴散らしながら大砲で攻撃を加え、水軍を撃沈させました。
これが決定打となり、本願寺は補給路を断たれる結果となります。しかも、それに追い打ちをかけて、同盟者である上杉謙信が亡くなるなどしたことから、ついに本願寺は孤立無援の状態に陥ります。
そして現代へ…こうなるとどうしようもありません。1580年3月、顕如は信長に降伏し、彼らは本願寺を退去します。そしてそれから間を置かず、なぜか本願寺は原因不明の火災によって焼け落ちました。
こうして10年間に渡る信長と本願寺の戦いは終結したのですが、実際にはもう少しいざこざがあったようです。顕如の長男である教如は、降伏することに反対し、父親がいなくなった後もしばらくの間、本願寺に立てこもっています。