血で血を洗う戦いの始まりから収束まで…織田信長と本願寺が対立し続けた理由とその経緯【後編】 (3/3ページ)

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現在の東本願寺

そして顕如が没した後は三男である準如が法主を継ぎ、長男の教如は独立して東本願寺を建てます。これに対して、准如がいる寺は西本願寺として位置づけられることになり、こうして現在の二つの本願寺の原型ができあがったのでした。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年

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