「どうする家康」秀頼公、いまだ着陣せず!関ケ原の戦いにおける三成・吉継ら、西軍首脳部の誤算【後編】 (2/4ページ)
そこで、笹尾山に陣取る石田三成の目に映ったのは予期せぬ光景だったと思われます。松尾山城に、小早川秀秋の旗印「丸に違い鎌」が翻っていたのです。
秀秋は、伏見城の戦いでは西軍に参加していたものの、その後は、西軍に合流することなく鷹狩などの遊興に耽っていました。しかし、9月14日の夜になり、突然15,000の軍を動かすと松尾山城に布陣していた大垣城主・伊藤盛正を追い出し、入城したのです。さらに三成を驚かしたのが、松尾山城の山麓に大谷吉継が陣を敷いていたことでした。
豊臣秀頼、ついに関ケ原に着陣せずそうするうちに、吉継の使者が三成の陣を訪れ、その言を伝えます。「金吾(小早川秀秋)が松尾山の尾根上の曲輪に兵を分散している。頃合いを見て我らを裏切り、襲い掛かるのではないか。某は、金吾の裏切りを懸念して松尾山の山麓に陣を張った。貴殿もゆめゆめ、油断召されるな。