三方ヶ原で大勝利!しかし…武田信玄に馬場美濃守が呈した苦言とは【どうする家康】 (2/4ページ)
御ちなみをむすばれて先手をたのみ給ひなば。このごろは中国九国までも手にたつ人なく。やがて六十余州も大方事行て候はんものをといひけるとぞ。……
※『東照宮御実紀(徳川実紀)』巻二 元亀元年-同三年「三方原戦(大戦之二)」
「まったく、この日本国において、越後の上杉入道(上杉謙信)と、徳川殿ほどの弓取りはおりますまい」
「此度の戦で討死した三河武者どもは、将から雑兵にいたるまで戦わぬ者は一人もおりませなんだ」
「屍を見れば、頭がこちらを向いていた者は皆うつぶせ。逆に頭が浜松を向いていた者は、皆あおむけに死んでおり申した」
「つまり、誰一人として逃げ出すことなく死ぬまで戦った証しに他なりませぬ」
「美濃よ……そなた、何が言いたい」
苛立つ信玄に、馬場美濃は続けました。
「先に御屋形様が駿河を取られた際、徳川殿へ約束どおり遠江国を与えておけば、今ごろ力を合わせて中国・九州までも手に入れておったやも知れませぬな」
もし信玄と家康が組んでいたら、信長の天下は脅かされただろうか(イメージ)
武田と徳川の抗争は、元はと言えば信玄が遠江も(何なら三河も)手に入れようと欲を出して、盟約を違えたことが発端です。
「たかが遠江一国に目が眩んで、天下を見失われましたな」
三方ヶ原でこそ大勝利を収めたものの、家康が逃げ込んだ浜松城を攻め落とすほどの力はなかった(※)ため、ひとまず兵を退かざるを得なかった信玄。