三方ヶ原で大勝利!しかし…武田信玄に馬場美濃守が呈した苦言とは【どうする家康】 (4/4ページ)
歌川国芳筆
……馬場美濃、信玄公御前に於いて師走廿八日に申上て次に家康当年三十一歳なれ共日本国中に越後の輝虎三州の家康両人ならで剛の大将御座有間敷候、此度味方が原御合戦にうち死の三河武者下々迄勝負を仕らざるは一人もなく候、其證據は躰此方へころびたるはうつむきになり浜松のかたへころびたるは、あふむきになり中候、たけき武篇の家、和朝に上杉謙信徳川家康なり惣別五年以前駿河始めて御出陣の時遠州一国を無相違家康次第と被仰、御入魂の上御縁者などにあそばし和睦の儀有て家康御先を仕り候はゞ当年などは大方中国九国までも信玄公御手にたつ人なくして五三年の間に日本も大略物いひ御座有間敷候物をと馬場美濃守信玄公へ申上候以上……
※『甲陽軍鑑』品第卅九
まさに敵ながら天晴れと言ったところ。果たして家康が信玄と手を組んだかどうかはともかく、もし遠江を侵略さえしていなければ、可能性はあったかも知れませんね。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では恐らく登場しないのでしょうが、武田家中には馬場美濃のみならず多くの名将たちが信玄を支えたことを知ってもらい、また彼らに興味を持ってもらえたら嬉しいです。
※参考文献:
『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 『甲陽軍鑑』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan