どうする飲料水!?神田上水、玉川上水、本所上水……江戸の暮らしを支えた「江戸の六上水」 (1/3ページ)
江戸へ入府した徳川家康が最も頭を悩ませていたことの1つは、「どうやって飲料水を確保するか」ということでした。
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海辺に位置する江戸町の地下水は、塩分が多くて、飲料水にするなど、当初、とても考えられることではありませんでした。そこで家康は、江戸入府と同時に、江戸市中へ水を供給する「神田上水」の開削を家臣に命じたのでした。
「神田上水」は、井の頭を水源とします。人工の水路を掘削し、途中で善福寺生けや妙正寺池などから流れ出る水流と合流させて、神田・日本橋・京橋といった地域に給水するというものでした。
ところがその後、江戸の人口が増加すると、「神田上水」の給水量ではとても江戸の町の飲料水を賄いきれなくなってしまいました。
そうして建設されたのが「玉川上水」です。
「玉川上水」は、約43キロメートルもの人工水路を掘り、多摩川の水を四谷大木戸まで引き入れるといった当時としては大規模なものでした。
