草野仁インタビュー「黒柳徹子さんは本当にすごい!」放送38年目の『世界ふしぎ発見!』最強キャスター79歳が語る幼少期、NHK時代、退局…秘話 (3/5ページ)

日刊大衆

■これからはテレビ放送の時代

「64年の東京五輪でテレビが普及したこともあり、“これからはテレビ放送の時代だろう”と思い、取材記者を目指してNHKを受けました。願書は記者志望で提出し、運よく試験にパスするのですが、採用通知を見て、びっくりしました。“アナウンサーとして採用する”と書いてあったんです。あとで分かるんですが、その時代のNHKは、さまざまな事象に対応できる人材を育てるべく、志望者以外もアナウンサーとして採用していたんです。当時、重複受験を防ぐためにマスコミ各社の入社試験は、すべて同じ日でした。つまりNHKしか受けていなかった。私は就職浪人もできなかったので、アナウンサーの道を選びます」

 当初の希望に反し、アナウンサーという職についたが、目標を見出し、鹿児島、福岡、大阪と各支局に転勤し、スキルを磨いていった。

「記者志望だったものですから、アナウンサーが自分で取材をして、それを表現ができるスポーツの担当を希望しました。鹿児島で県の高校野球の実況から始め、福岡では国際マラソン、“黒い霧事件”で弱体化した西鉄ライオンズの試合などを担当いたしました。大阪に転属してからは春夏の高校野球の決勝、それから、モントリオール五輪の中継要員として派遣されたことも印象に残っています。

■『NHKニュースワイド』のキャスターに

 東京に戻ったのは、入局10年目です。オリンピックを経験したものの、東京ではスポーツアナウンサーとして下っ端ですから、担当するのはNHK杯のフェンシング、フィールドホッケー、馬術と、どちらかというと地味な競技種目が多く、“たまにはプロ野球もやりたいなあ”なんて思いもしました。ただ、よくよく考えてみたら、選手は必死の思いで研鑽を重ねて、年に一度のNHK杯に出場しているわけです。また、その親族や関係者の方も大変な集中力で中継をご覧になるでしょう。 “であれば、いい加減な放送はできないな”と気づいて、競技を深く理解し、ルールを熟知して取り組んだんですね」

 真摯な努力が評価されて、念願かなってプロ野球も担当するようになる。

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