酒井忠次(大森南朋)を呼ぶときの「左衛門尉(さゑもんのじょう)」にはどんな意味がある?【どうする家康】 (3/3ページ)
さらに地方の大名家では
家臣の任官を朝廷に推挙(するふりを)する田舎大名(イメージ)
ちなみに朝廷とのつながりが薄い地方の戦国大名家などでは、家臣に対して「そなたを肥後守に任ずるよう、わしが朝廷に推挙しておくぞ!」とか何とか言って、勝手に任じていたとか。
実情を知らない家臣はそれをありがたがって「山田肥後守」とか「田中隼人正(はやとのかみ)」などと名乗り、また呼ばれていたのでしょう。
現代の私たちからすれば中身のない、しかも非公式の官職で得意になっていた武士たちの姿は、ある意味で滑稽に見えるかも知れません。
しかし自分の忠義や武功について、主君から「肥後守の官職にふさわしい」と評価してもらったことは間違いなく名誉でした。
あるいは浪人が仕官が少しでも有利になるよう、ハッタリで自称するにしても、戦国乱世を生き抜こうとする気概が好ましく感じられます。
終わりにこうした官職の私称は、やがて武家百官(ぶけひゃっかん。武士の間で広まった官職風の人名。関東では東百官とも)などにこなれていきました。
現代でも名前の末尾に「~と(人)」「~すけ(助、介、輔)」「~へい(平)」「~や(弥)」など、その名残が見られますね(名づけた当人たちは意識していないかも知れませんが)。
他にもたくさん出て来るので、「もしかして、この通称も官途名かな?」など意識して時代劇を観てみると面白いですよ!
※参考文献:
『寛政重脩諸家譜 第一輯』国立国会図書館デジタルコレクション 小和田哲男『日本史に出てくる官職と位階のことがわかる本』 新人物往来社、2009年10月 木下聡『中世武家官位の研究』吉川弘文館、2011年11月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan