鎖国批判の蘭学者を一斉に処罰!言論弾圧事件「蛮社の獄」真の標的 (2/3ページ)

日刊大衆

 この長英の著書が話題になり、筆写されて広まったことに幕府は警戒を強め、当時の老中水野忠邦が目付の鳥居耀よ う蔵ぞ う(のちの町奉行)に作者探索を命じた。

 というのも『戊戌夢物語』は甲と乙という人物が語り合う形で話が進められ、作者が誰か分からなかったからだ。したがって、長英の誤解が事件の始まりといわれているのだ。

 一方、耀蔵らは「モリソン号事件」から、ほぼ二年が経った天保一〇年(1539)四月、作者は長英もしくは華山というところまで突き止めた。

 しかし、二回目の報告書で事態は意外な方向へ発展する。僧や町人らが無人島(現在の小笠原諸島)への渡海計画を企てたというのだ。

 当時、小笠原諸島の存在が欧米人の目にとまり、その占拠計画が進められ、父島での居住も確認できる。

 当然、日本人の関心も高まり、住職らはその島で「奇石異草」(珍しい石や植物)を見つけて本土へ持ち帰ろうと、幕府へ願いを出そうとしていた矢先だった。

 そして、この渡海計画に主導的な立場で関与したとして華山の名が浮上したのだ。この報告を受けて耀蔵から幕府へ提出された上申書によると、彼らは無人島で「異国人」と接触し、アメリカなどへの渡航を計画していたという。

 もちろん異国へ渡るのは国禁。事実なら処罰されてしかるべきだが、あくまで無人島の「奇石異草」などを調べるのが目的で、彼らは幕府へ渡海の許しを得ようと準備していたに過ぎない。

 一方、この頃には、そもそも探索の契機となった『戊戌夢物語』の作者が長英だと判明していたが、上申書での容疑はむしろ、この無人島渡海計画が中心になっていた。

 こうして同年五月一四日、奉行所の役人が江戸城半蔵門近くの田原藩邸の長屋から華山を連行。無人島渡海計画の僧と町人らも捕えられ、四日後には身を隠していた長英が自首し、逮捕者は計二六名に及んだ。

 この他、摘発対象になっていなかったが、尚歯会メンバーの蘭学者小関三英が自殺している。彼は華山にキリストの伝記(『耶や蘇そ伝』)を口訳したため、その連座を恐れたのだ。

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