鎖国批判の蘭学者を一斉に処罰!言論弾圧事件「蛮社の獄」真の標的 (1/3ページ)

日刊大衆

写真はイメージです
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 事実上の鎖国が国是とされていた江戸時代に、蘭学者(洋学者)らの思想を弾圧した事件を「蛮社の獄」という。

 蛮社というのは蘭学者らの結社のこと。天保年間(一八三〇~四四年)に渡辺崋山(三河国田原藩士で画家、儒学者でもある)と高野長英 (奥州出身の医師)らが参加した尚歯会(蛮社)が弾圧のターゲットになったとされたことから、そう呼ばれる。

 尚歯には「老人を敬う」という意味があり、今でいう政策提言団体のような存在だった。当時は日本近海に外国船が出没していた時代。彼らは海防や交易という幕府にとって敏感な問題も議論していたから目をつけられたとしても不思議ではない。

 しかし、主宰者の紀州藩士遠藤勝助が「蛮社の獄」で処分されていないのは、どういうわけか。

 また、通説では「長英がある誤解をしたことが摘発を生んだ」とされる。この江戸時代の思想弾圧事件はなぜ起きたのか。事件の経過を「モリソン号事件」にまで遡って真相を探ってみよう。

 天保八年(1837)六月。難破した日本人漂流民七名を乗せたアメリカ商船モリソン号が、彼らを送り届けた見返りに日本との通商を求め、浦賀(神奈川県横須賀市)に来航。

 ところが、幕府は異国船打ち払い令に基づいて砲撃し、江戸湾から追い払った。次いでモリソン号は薩摩の山川(鹿児島県指宿市)に至ったものの、そこでも砲撃されてマカオへ帰り、結果、日本人漂流民は母国へ帰ることができなかった。

 その後、幕府では「漂流民送還と引き換えに通商を求めるならその要求を拒む」方針を新たにしたものの、「漂流民は次のオランダ船に乗せて帰還させる」考えだった。

 ところが、尚歯会にはこの後者の情報が伝わらず、さらにモリソン号が今後、漂流民を乗せて来航するものと誤解する情報がもたらされた。

 そこで長英は『戊ぼ 戌じゅつ夢物語』をしたため、「(モリソン号は)漂流民を憐れみ、わざわざ送り届けてくれようとしているのに取り合わず、ただ打ち払うだけなら、日本は民を憐れまない不仁の国と思われてしまう」と人道的見地から幕府の政策を批判したのだ。

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