鎖国批判の蘭学者を一斉に処罰!言論弾圧事件「蛮社の獄」真の標的 (3/3ページ)

日刊大衆

 こうして蘭学者らは尚歯会メンバーが狙われていると思い込み、そのことが後に蛮社を摘発対象にした思想弾圧事件と誤解されるようになったのだろうが、そもそも、尚歯会には蘭学者以外の学者らも所属し、実際には蛮社と呼べない団体だった。

 結果、三英や主宰者(前出)らはなんの容疑もかけられておらず、以上の経過などから蛮社(尚歯会)そのものが摘発対象になっていたとはいえない。

 しかも、華山が無人島渡海計画に無関係だったことが後に判明する。それでは、この事件の本質はどこにあるのだろうか。

■ターゲットは「崋山」で「長英」は巻き添えか!?

 当時、華山が友人らから「蘭学にて大施主」といわれていたことがヒントになりそうだ。歴史学者の田中弘之氏はその大施主の意味を「啓蒙活動によって西洋への関心を呼び起こし、西洋に関する知識を求める人々を援ける人」と解釈している。

 つまり、頻繁に外国船が日本近海に現れ、西洋への日本人の関心が高まる中、鎖国体制を維持しようとする老中の水野忠邦や配下の目付鳥居耀蔵にとって、華山が目障りな危険人物と映ったのだろう。『戊戌夢物語』の作者探索の際に華山が長英とともに名が挙がったのも不思議といえば不思議だ。

 おそらく真相はこういうことだろう。まず耀蔵は、作者が華山でないと知り、別の容疑が必要になった。そこで、かねてより探索させていた無人島渡海に注目。それを「鎖国やぶり」の犯罪に仕立て上げて華山を彼らと関係づけ、さらには著書の『慎機論』で幕府の政策を批判した容疑を加えて摘発した。

 結果、僧や町人らはもとより、長英もそのための巻き添えで摘発されたといえる。つまり、この事件の本質が思想弾圧であるのは事実だが、あくまでターゲットは華山だったという解釈だ。それなら、長英が誤解に基づいて『戊戌夢物語』を書かなかったとしても、必然、この思想弾圧事件は起きていたといえよう。

跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。
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