同時多発!数時間でハイ終了?「天下分け目」関ヶ原の戦いの意外な実態とは【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

鳥居元忠(Wikipediaより)

そして、岐阜城の戦いでは三成方だった織田秀信が敗北。9月1日にはついに家康も江戸から出陣し、いよいよ全面対決となりました。

数時間で決着

家康が関が原に到着するまでの間にも、戦局は一進一退。両軍が美濃関ヶ原に到着し、ついに激突したのは9月15日のことでした。

この時、三成軍は総勢8万で、家康軍は7~10万ほどの兵力だったといいます。どちらの軍にも歴戦の武将がおり、勢力は拮抗していました。

ここで裏切ったのが、三成方だった小早川秀秋です。彼が家康方につくと、続けて脇坂安治小川祐忠も家康方に寝返り、結果として1万を超える軍勢が家康につくことになりました。

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