同時多発!数時間でハイ終了?「天下分け目」関ヶ原の戦いの意外な実態とは【後編】 (3/3ページ)

Japaaan

小早川秀秋の浮世絵(Wikipediaより)

この、裏切りによって生じた兵力差によって、午前中に始まった「天下分け目の戦い」は、呆気なく午後1時頃には終了してしまったのです。

小早川秀秋は、合戦前に既に家康によって篭絡されていました。さらに言えば、家康方からは離反者は出ておらず、こうした点で家康の方が石田三成らよりも統率者として優れていたといえるでしょう。

全国各地でも勃発した戦闘

ところで、「天下分け目」のタイミングで起きた戦いは関ケ原だけではなく、実は全国各地でも、ほぼ同時期に両陣営による戦闘が起きています。

関ヶ原古戦場

例えば奥州では、西軍の上杉景勝と、東軍の最上義光と伊達政宗が衝突しており、長谷堂の戦いで上杉軍が敗北しています。

また北陸では前田利長と丹羽長重が戦っていますし、四国地方では加藤嘉明と毛利軍が衝突。九州地方では黒田官兵衛や加藤清正が杵築城・臼杵城を落とすなどしています。

このように見ていくと、「天下分け目の戦い」は関ケ原に限ったことではなく、同時多発的に全国各地で戦闘が繰り広げられたこのタイミングこそが、歴史的な天下の分け目だったのだといえるでしょう。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「同時多発!数時間でハイ終了?「天下分け目」関ヶ原の戦いの意外な実態とは【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、関ケ原の戦い合戦戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る