【朝ドラ らんまん】要潤演じる田邊彰久のモデル!東京大学理学部の初代教授・矢田部良吉の生涯③ (4/4ページ)

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良吉が本格的に女子教育に携わったのは、東京高等女学校においてでした。

明治15(1882)年、政府は東京女子師範学校の附属高等女学校を設立。明治19(1886)年2月には、同校を文部省直属の官立校に定めて東京高等女学校としていました。

良吉は東京高等女学校の校長を拝命。女子教育推進の立場として活動していく事となります。

東京女子師範学校。付属校として設置されたのが女学校であった。

先進的な女子教育、国の基事件によって頓挫する…

明治20(1887)年、良吉は大日本教育会において、女子教育の重要性において演説。『東洋学芸雑誌』に掲載されるほど、周囲から注目されていました。

明治22(1889)年には、良吉が中心となって女子教育の雑誌『國の基(くにのもとい)』を発刊。広く支持を集めるべく運動しています。

しかし良吉の西洋主義的な考えは、周囲からあまり理解されていなかったようです。

同年4月、『改進新聞』において小説「濁世」が掲載。良吉の私生活を揶揄しつつ、女学校の腐敗を糾弾していました。

良吉は「濁世」の連載に激怒して新聞社を名誉毀損で訴え、新聞社から謝罪文を出させています。

さらに同年、教頭の能勢栄が『國の基』で「文学士か或いは理学士以外の男性には嫁ぐべきではない」と論述。女学校に対する批判を巻き起こします。

翌明治23(1890)年、良吉と能勢らは免職。東京高等女学校も廃止されることとなりました。

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