【朝ドラ らんまん】要潤演じる田邊彰久のモデル!東京大学理学部の初代教授・矢田部良吉の生涯③ (3/4ページ)
ウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』。良吉も愛読していたと思われる。
良吉、東京高等女学校の校長に就任する良吉の活躍は、教育業界にまで及んでいくこととなります。
明治18(1885)年、第1次伊藤内閣において、森有礼が初代文部大臣に就任。かつて森の下で働いた良吉の運命も大きく動き始めます。
森は文部大臣として教育行政の改革に着手。翌明治19(1886)年に東京高等師範学校(東京教育大学の前身)を創立して教育の総本山とします。
教育行政の運営において、森が特に頼りとしたのが良吉でした。
良吉は特に女子の高等教育の拡大を求めており、かねてから演説においてもそれを訴えていました。
明治より前の江戸時代は、儒教的な考えが導入されています。いわば男尊女卑的な「夫唱婦随」関係が求められていました。
しかし良吉は時代錯誤だとしてこれを批判。夫婦の対等な相補関係を構築すべしと説きます。
良吉の教育観の中には、女性に欧米的な良妻賢母を求めていく思想があったようです。