武田の血統と誇りを後世に。勝頼滅亡後も生き延びた信玄の甥・川窪信俊の武勇伝【どうする家康】 (3/4ページ)

Japaaan

一番槍を果たす信俊(イメージ)

一番乗り、一番槍、そして敵将の首級を上げる武勲を重ねた信俊。さすがは武田の猛者よと称えられました。

その後も天正12年(1584年)に家康が羽柴秀吉(演:ムロツヨシ)と争った小牧・長久手の戦いで首級九つ(内三つは自身)を上げます。

更に天正18年(1590年)の小田原北条征伐では、平岩親吉(演:岡部大)の下で武蔵岩槻城を攻め、ここでも敵将の首級を上げました。

ついでに首級をもう一つとって、味方に譲ってやる余裕まで見せたそうです。

かくして徳川家臣団の精鋭として活躍した川窪信俊。天正19年(1591年)の九戸一揆鎮圧、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い、そして慶長19〜20年(1614〜1615年)大坂の陣と武功を重ねました。

そして戦国乱世も過ぎ去った寛永16年(1639年)2月14日、76歳で世を去ったのでした。

※だから逆算して、永禄7年(1564年)生まれとなります。

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