実は対立関係だった2人…松平信康が自害に追い込まれたのは親子間の不仲が原因だった?!【どうする家康】 (3/3ページ)

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親子不仲説が有力となった理由

徳川家康と松平信康/Wikipediaより

そして、信康切腹事件が親子の不仲が原因で起こったと言われているのが『当代記』や『安土物語』にある「信康のことは家康の思い通りにせよ」と信長が言ったことにあります。

信長は家康に信康を殺すことを命令していないのに関わらず、信康を自害に追い込んでいるので、家康の意思で信康を殺したことがうかがえます。

その決断を下した理由として、父や信長を軽視する態度を崩さなかったこと。岡崎衆を率いて謀反を起こそうとしたことが考えられます。

不仲となったのは幼少期にあった!?

徳川家康/Wikipediaより

家康は信康を大切に思うあまり、幼少期より甘やかして育ててしまい、成人してから教え諭しても言うことを聞かなくなってしまったと後悔していることから、不仲の原因は幼少期の教育が発端と考えられます。

我が子可愛さに甘やかして育てると、親を軽視しやすくなり、かといって厳しく育てると反発しやすくなるので、家康も子育てには苦労したことでしょう。

たらればになってしまいますが、信康が家康と対立せずに共に人生を歩めたら、家康の覇道に多大な貢献をしたかもしれませんね。

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