もったいない!高天神城の戦いで、岡部元信(田中美央)の首級を獲ったのは……【どうする家康】 (2/3ページ)
その中には忠世の弟である大久保彦左衛門忠教(ひこざゑもん ただたか)がいました。
「我こそは大久保彦左衛門、いざ尋常に勝負せぇ!」
「おう若造、相手してやる!」
彦左衛門は一団の先頭を駆ける老武者と太刀を合わせましたが、次々に敵が襲いかかってきます。
「おい主水、この老いぼれは任せた!わしは先に参る!」
「はっ!」
敵の大将はもっと後方にいるはず。まさか自分と太刀を合わせている老武者が岡部元信とは夢にも思わず、その始末を寄子(よりこ。家臣)の本多主水(ほんだ もんど)に任せました。
かくして彦左衛門は、図らずして本多主水に大手柄を譲ってしまったということです。
終わりにこれを知った彦左衛門、後から「岡部丹波(元信)は、この平助(彦左衛門)が最初に太刀をつけたのじゃ。しかし丹波と名乗らなかったゆえ、寄子に譲ってしまったではないか。名乗っておれば譲ったりしなかったのに……(岡辺丹波おば。平助可”たち付而。寄子の本田主水丹。うたせたり。丹波と奈の里たらバ。よ里子尓ハうたせま志”けれ共。奈のらぬうへ成)」などと愚痴をこぼしました。