凄いぞ大阪!織田信長・豊臣秀吉ら時の権力者が欲しがった交通の要衝。大阪の歴史的意義【後編(戦国~近世)】 (4/5ページ)
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大阪
家康は、秀頼に対し領地削減の他、徳川家への臣従・方広寺鐘銘事件など無理難題を押し付け、1614~15年に大坂の陣を起こさせ、ついに豊臣家を滅ぼします。この時、豊臣氏の大阪城は、淀殿・秀頼とともに焼け落ちます。そして大阪城は、城下町ともども徹底破壊されてしまいました。
しかし、豊臣氏が滅んでも、要衝としての大阪は健在です。家康の後を継いだ、2代将軍徳川秀忠は、大阪城の再建工事に着手します。秀忠は「石垣も堀も旧大阪城の倍にせよ」と命じます。豊臣時代の大阪城の上に盛り土をして、全て埋められ、堀はより深く、石垣は巨石を用いてより高く築き直され、約10年の年月をかけて再建を果たしました。
そして大阪は、江戸時代を通じて日本の中心となる経済都市「天下の台所」として繁栄していくのです。また、経済の中心として多くの人や物資が行き交う大阪は、人形浄瑠璃・上方落語・俳諧などの現在に続く文芸文化が花開きます。