ペリーの来航は予定通り!?黒船&ペリーの来航を最初から知っていた江戸幕府の情報網 (1/3ページ)

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ペリーの来航は予定通り!?黒船&ペリーの来航を最初から知っていた江戸幕府の情報網

情報収集を怠らなかった江戸幕府

ひと昔前は、幕末を舞台にした時代劇などでは、いわゆる「黒船来航」に幕府は次のように対応したと説明されるのが常でした。

すなわち、ペリー率いる艦隊がアメリカ大統領の国書を持って来航し、武力を盾にして開国を要求した。幕府は準備不足だったためそれを拒むことができず、外圧に屈する形で開国することにした……と。

下田のペリー艦隊来航記念碑

しかし近年の歴史研究では、このようなイメージは史実と全く異なることが分かっています。実際には、ペリーが来航するという情報を、幕府は長崎のオランダ商館を通して事前に把握していたのです。

また、実はペリーがやってくるよりも10年以上も前から、アメリカ船はしょっちゅう日本近海に表れていました。それだけではなくイギリスやロシアの船も多く、このため幕府は清国やオランダを通じて海外諸国や外国船の動向を注視していたのです。

鎖国時代の国際関係史!?

では、ペリーの「黒船来航」以前に、徳川幕府は諸外国とどのようにやり取りをしていたのでしょうか。このような観点から見ていくと、今までは「鎖国」で完全に閉じられていたというイメージだった江戸時代の日本の、知られざる「国際関係史」が浮かび上がってきます。

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