ペリーの来航は予定通り!?黒船&ペリーの来航を最初から知っていた江戸幕府の情報網 (2/3ページ)
まず、ペリーがやってくるよりも半世紀以上前に日本との通商交渉を求めた国がロシアです。1778年、ロシア船が蝦夷地を訪れて通商を要求してきましたが、松前藩は拒否しました。
その後も、欧米諸国はアジアへの市場拡大のために日本近海に頻繁に出没します。彼らにとっては、エネルギー源である鯨油の確保が重要課題だったのです。
こうした状況を受けて、1825年に出されたのが異国船打払令です。幕府は武力による外国船の撃退を許可したのでした。
ただその後、1842年にはこの令の内容も緩和され、外国船に対しては物資を与えて穏便に帰国してもらうようになります。
またペリーがやってくる7年前には、アメリカ海軍のビッドル提督が率いる艦隊が、やはり浦賀沖に現れています。彼はペリーと同じように大統領の親書を携えてきました。この時は、幕府の老中首座だった阿部正弘が鎖国を理由に拒否しています。
ペリーの来航は「予定通り」ただ、阿部は、いずれ外国に対して開国することは避けられないと考えていたようです。