「本能寺の変」で自害決意から一転、徳川家康「替え玉サバイバル作戦」 (4/4ページ)

日刊大衆

 以上のようにホンモノと替え玉が二手に分かれていたなら、それぞれ北廻りと南廻り上に信頼できる家康の判物が残るという矛盾は解消する。

 推論通り、家康が替え玉を立ててまで生き残ろうとしていたのだとしたら、一時は自害を覚悟した彼の変わり身の早さに驚かされる。

跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。
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