昭和天皇が満州事変を止められなかったのは何故?天皇と軍の微妙な関係【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

これは、天皇の「命令」に関するシステムにも原因があります。細かいことは省略しますが、詔勅命令と言っても天皇自身がみずから考え発令する命令というものは存在しません。天皇ができるのは「下問」といって質問の形で問うことだけでした。

よって、もともとこれには強制力がなく、これでは軽んじられても仕方ないと言えるでしょう。

狡猾な関東軍

もちろん、天皇大権の発動という伝家の宝刀は存在しており、昭和天皇はこれの発動も検討しています。しかし侍従長から反乱が起きかねないと説得され、諦めるしかなかったのが実態でした。

また政府も、当初は満州事変に対しては「不拡大」の方針でしたが、世論が一時的に満州進出をもてはやしたことと党利党略が重なり、ここでもなし崩し的に容認する流れになります。

昭和天皇は、その後の関東軍による熱河作戦についても「長城の線を越えないように」と意見を付していますが、これもあっさり破られています。さすがに、これについては天皇も腹を立てました。

関東軍や陸軍省は、状況を見ながら天皇の命令をのらりくらりとかわしていたようです。例えば、一度行軍についてストップをかけられても、攻撃を受けたことを口実になし崩しに行軍を再開する。また、天皇の意向は無視したり、曲解したり、遅らせたりすることで自分たちの目的を遂行したのです。

昭和天皇はこのような状況に苦悩しましたが、有効な手段を見つけることができませんでした。

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