文明開化の明治初期、日本で多くの洋館の設計に携わった「ジョサイア・コンドル」が残したもの (2/2ページ)
- タグ:
-
ジョサイア・コンドル
-
文明開化
-
明治時代
-
建築
また、井上馨による不平等条約の改正もなかなか思うように進まず、彼は失脚。井上馨は外相を辞任し、鹿鳴館時代も終わりを告げます。
鹿鳴館は1890年(明治23年)に閉鎖され、その後華族会館として使用、そして民間へと渡り、1940年(昭和15年)には取り壊されてしまいました。
ジョサイア・コンドルが残したもの鹿鳴館は少し悲しい終わり方だったかもしれませんが、ジョサイア・コンドルが残したものは数多くあります。
建築物でいえば、ニコライ堂(実施設計のみ)、岩崎久弥邸、岩崎弥之助邸、三井倶楽部、古河邸など。また、人材育成の面でも大きな功績を残しました。
教え子の辰野金吾は日本銀行本館や東京駅などを設計。また、片山東熊は赤坂迎賓館を設計しました。
ちなみに、東京大学本郷キャンパスには、キャンパスで唯一の立像があり、それがジョサイア・コンドル像です。もし東京大学に行く機会があれば、ぜひチェックしてみてはいかがでしょうか。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan