日本に英語を普及させた功労者!“元漂流民”ジョン万次郎の生涯 (3/3ページ)

日刊大衆

 万次郎の三男の孫、中濱武彦氏は著書『ファースト・ジャパニーズ ジョン万次郎』で、龍馬が小龍の家に出入りして『漂巽紀畧』を目にしたため、彼がよく口にする海外事情はその本、ひいては万次郎の体験談に依るところが大きいという。

 一方、幕末史の重要人物のみならず、万次郎は幕末史そのものにも影響を与えた。彼の噂が蘭学者の大槻磐渓らの耳に入り、その推薦で江戸へ召喚され、幕府直参旗本の身分を与えられるのだ(このときから故郷の地名を取って「中浜」姓を称す)。

 前述した通り万次郎が日米交渉の際の通訳として表舞台で活躍することはなかったが、条約締結後の批准書交換のため、万延元年(1860)一月、勝海舟を艦長とする咸臨丸に幕府通訳として乗り込むことになった。

 その際、通訳としてはもちろん、航海士としての彼の腕が役立った。咸臨丸が暴雨風に襲われ、艦長の勝が船酔いと下痢に苦しめられる中、万次郎が徹夜で働いていたと同乗のアメリカ海軍士官が語っている。こうして日本人初の太平洋横断成功に万次郎が果たした役割は大きい。

■維新後に教授を務めて英語の普及に尽力した

 しかし、やはり彼が日本史に残した最大の功績は英語の普及だった。

 土佐藩の教授館(藩校)で英語を教え、幕府の天文方でアメリカの専門書の翻訳に当たったこともさることながら、彼は本邦初の英会話入門書といえる『英米対話捷径』を咸臨丸の出航にあわせて出版。批准使節団の他、同乗していた福沢諭吉もこの入門書を参考にした。

 万次郎は日本でしっかりした読み書きを習わずにアメリカで暮らしたため、帰国当時、日本語がうまく話せなかったという。それだけに英語を日本語に翻訳するのには苦労したようだ。

 維新後、万次郎は東京大学の前身に当たる開成学校の教授などを務めたが、もし彼がいなかったら日本人は英語という西洋の知識習得に不可欠なツールを使いこなせず、欧米化や近代化は遅れてしまったかもしれない。

跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。
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