日本に英語を普及させた功労者!“元漂流民”ジョン万次郎の生涯 (2/3ページ)
こうして苦学して卒業したあと、別の捕鯨船に乗って世界を航海するうち、次第に望郷の念を募らせる。
そんな彼が帰国資金を稼ぐために注目したのが、西部開拓時代のアメリカで沸き起っていたゴールドラッシュだった。
万次郎はカリフォルニアの金鉱で六〇〇ドルを稼ぎ、漂流した船員と別れたハワイへ向かい、嘉永四年一月、事実上、鎖国している日本本土を避け、二人の元船員とともにいったん琉球(沖縄県)へ上陸した。漂流から一〇年が経ち、万次郎は二四歳になっていた。
その後、琉球国から薩摩藩、長崎奉行と身柄を次々に引き渡され、特に長崎奉行所では揚屋(牢屋)へ収容され、所持品をすべて取り上げられたうえで尋問されたが、キリシタンでないことが確認されると、事実上、無罪放免となって土佐藩に身柄を引き渡された。
こうして万次郎は翌嘉永五年(1852)七月、故郷の土を踏んだのだ。
土佐藩でも取り調べが行われたが、その年の一二月、藩から「定小者(軽格の侍)」の地位と扶持米が与えられた。貧しい漁師の次男坊が留学を経て藩に召し抱えられた形だ。
とはいえ、このまま彼が「英語を話せる元漂流民」として土佐で生涯を終えていたら、歴史に埋もれていったかもしれない。
しかし、下級土佐藩士の画家で城下随一の知識人とされた河田小龍が、万次郎から詳細な海外事情を聞き出そうと自宅に住まわせたことで状況は一変する。
小龍は聞き取った話や万次郎に下絵を描かせた挿絵(蒸気機関車他)などをもとに全五巻の『漂巽紀畧』としてまとめ、土佐藩主の山内容堂へ献上したのだ。
当時、この書が城下で話題になった。藩主に献上されたという話題性の他、ある意味、元漂流民の異国物語という捉え方をされたようだ。
こうして『漂巽紀畧』と万次郎の存在が世に知られるようになり、かの坂本龍馬も影響を受けたという。