小牧・長久手の戦いで討死!池田恒興(徳重聡)の生涯をたどる【どうする家康】 (2/3ページ)
永禄5年(1562年) 美濃の斎藤竜興と戦い、負傷するも敵将を討ち取る。
元亀元年(1570年) 姉川の合戦に従軍・活躍。
これらの功績によって尾張犬山城主となった恒興。更に比叡山の焼き討ち(元亀2・1571年)や長島一向一揆・槇島城の合戦などに参陣しました。
天正6年(1578年)には謀叛を起こした荒木村重(あらき むらしげ)を摂津国有岡城に攻め立て、天正8年(1580年)に摂津国尼崎城・花隈城を攻略。これらの戦功によって有岡城(伊丹城)を与えられます。
天正10年(1582年)6月に信長が本能寺で横死を遂げた際、恒興は中国戦線(毛利攻め)から引き返してきた羽柴秀吉(演:ムロツヨシ)と合流。信長の仇討ち合戦である山崎の戦いで武功を立てました。
『太閤記』によればこの時の論功行賞により、恒興は摂津国大坂・尼崎・兵庫12万石を賜わったそうです。
信長の菩提を弔うために出家して勝入と号した恒興は、織田家の宿老として信長の後継者選び「清須会議(清洲会議)」に出席。秀吉らと共に三法師(後の織田秀信)を推します。
天正11年(1583年)の賤ヶ岳合戦で柴田勝家(演:吉原光夫)が滅ぼされると、ますます秀吉に接近した恒興。翌天正12年(1584年)に秀吉が徳川家康(演:松本潤)と対立した小牧・長久手の合戦では当然のごとく秀吉に与しました。
ここで勝利を収めれば尾張一国を与えてくれる。そうと聞いて大張り切りの恒興でしたが、4月9日の岩崎城攻めにおいて嫡男の池田元助(もとすけ)、同僚の森長可(もり ながよし)ともども討死してしまったのです。享年49歳。