小牧・長久手の戦いで討死!池田恒興(徳重聡)の生涯をたどる【どうする家康】 (1/3ページ)
織田を捨て、秀吉を選んだ猛将
池田恒興 いけだ・つねおき(勝入 しょうにゅう)
[徳重聡 とくしげさとし]織田家の重臣。本能寺の変後、清須会議で信長の後継者のひとりとして頭角を現す。小牧・長久手の戦いでは織田信雄を裏切り、恩賞狙いで秀吉方として参戦。徳川軍を窮地に追い込む。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より。
劇中では清須会議でいきなり登場してきた感のある池田恒興。しかし彼は決してポッと出ではなく、織田家に代々仕えた歴戦の勇士でした。
今回はそんな池田恒興の生涯をたどり、大河ドラマの予習をしたいと思います。
数々の合戦で武功を重ねた猛将池田恒興は天文5年(1536年)、織田家臣である池田恒利(つねとし)と養徳院(ようとくいん。俗名不詳)の子として誕生しました。
母の養徳院は織田信長(演:岡田准一)の乳母を務めたため、恒興と信長は乳兄弟の関係に当たります。
通称は勝三郎、幼いころから織田信秀(演:藤岡弘、)に仕え、元服して初め恒興と称しました。
星崎城の合戦において武勇をあらわし、信の字を与えられて池田信輝(のぶてる)と改名。その後も信長に仕えてしばしば武功を重ねたのです(※便宜上、ここでは池田恒興で統一します)。
弘治元年(1555年) 織田彦五郎と海津で戦い、一番首級を獲る。
弘治3年(1557年) 信長の実弟・織田信勝を暗殺した際トドメを刺す。
永禄元年(1558年) 浮野・名古屋の合戦に軍功を立てる。
永禄3年(1560年) 桶狭間の合戦で武勲。